2014年6月6日金曜日

新国立競技場を目指して

5月最終日は国立競技場でファイナルイベントが行われたとか。私も1日遅れで最後の勇姿を見に行ってきました。折角のお天気なのでBROMPTONでスタート。

6月1日というのに猛暑日(O_O); 途中鳥越の祭りを横目に日陰を選んで散走するも九段から四谷辺りまでは結構な坂道で久しぶりに自転車で汗:-)

20代の後半はこの近くの事務所に勤めていたので良く歩きました。外苑前・千駄ヶ谷・原宿の3駅はいづれも通勤で利用した駅。空の見え方の記憶が蘇ります。

昨年、槇文彦氏が新国立競技場案に異議を唱え100人を超える発起人・賛同者を集めて要望書を提出。しかし、街で耳にする意見は驚くほど建築界に厳しいものでした。「何を今さら」「散々利権だらけの箱モノで稼いできたくせに」「コンペなんて出来レース」等々。勿論見当はずれの意見もあるのですが、日本の建築家が私の思うほど尊敬されてはいないことに愕然としたのです。

一方、関係者等からはザハ案に対する厳しい批判が目立ち、コンペの審査員・事業主体・関係官庁も含めた大攻撃になりました。そんな中、審査員の一人だった内藤廣氏が発表した、いわゆる内藤文書も批判を受けてしまいます。

そして5月末に規模縮小された基本設計(案)が公表されると「当選案からの劣化がひどい」「結局誰も喜ばない結果」など修正された案が更に批判を受ける事態に。審査委員長だった安藤忠雄氏はこの基本設計(案)を評価しているそうですし情報公開・説明をもっとするべきとの立場でコンペの審査過程もあらためて公開されるに至ります。

正直なところ、この辺りには伝統とか古き良き東京などという印象を持ちません。内苑と違って新しいものが受け入れられる新興商業地だったり文化・スポーツエリアというイメージ。下町とは高級さが桁違いですが:-)

なので、審査員に鈴木博之氏が入っていたことには大きな意味があったはずと考えていました。しかし今年2月3日、何も語らないまま他界されてしまいます。今更ながら御冥福を祈ると共にこの騒ぎをどう思っておられたのか知る術のないのが残念でなりません。ただ師の講座を聴いただけのダメ学生だった頃も思い出しつつ、外苑の歴史をコンペ要項や審査にどう反映させようとされたのか、何か感じられるものがあるのか自問しながらただゆっくりとこの地を巡って来ました。

内部から足場材の音が響く競技場の周りには数人の方々が写生をしています。「残せ」と言う意見も強く聞かれる中、この勇姿は絵となって確実に残り、そこには描いた人の今の思いも込められ記憶されていくのでしょう。


走行距離:29.12 km
最高速度:27.79 km/h
乗車時間:3h 27m
本日のBGM:Paul Desmond "Bossa Antigua"